耐震強度設計偽造問題について考える

ここのところTVや新聞では耐震強度設計偽造問題の事でいっぱいだ。
実際、対象とされているホテル経営者やマンションにお住まいの方は
日々心臓を締め付けられているだろうし、いきなり生活基盤が奪われるのだから
たまったものではないだろう。


この問題について私が一番納得がいかないのが、姉歯氏どうこうではなく各メディアの報道のやり方だ。
本来は真実「のみ」を正確に報道するのが役目であるはずのメディアは
こぞって、「誰が悪い」だの「責任は誰にあるのか」など完全に悪者探しないしは悪者いじめに走っている。
こうなると、我々視聴者はこのくだらないメディアの報道に乗せられ同じように悪者探しを行い
一緒になって好奇の目を向け、いじめに走る。



私は別にこの一連の事件に関して「悪者はいない」と言っているわけではない。
問題がある所には原因は必ず存在するのは当たり前の事だし、その事実関係は暴かなくてはならない。



前にも日記で同じような事を掲載したが
なぜ真実に目を向けず、まったく別の、それこそ異次元と言っても差し障りはない箇所に目を向けるのだろう。
はっきり言ってしまえば、今回の事件に関して例え事実関係が明らかになったとしても
それで「はーすっきりした。あいつだったのか、悪者は」程度の認識で終わってしまうのではないだろうか。
残ったものは建築や不動産関連の業種に対する不信感だけだろう。




昨今、悪徳リフォーム会社についても多くの報道がなされてきた。
そしてメディアはその悪徳リフォームのやり口などについて報道してきた。
「こういう手口には気をつけましょう」
「対策は次のようなポイントが考えられます」




そうじゃない。
本当に報道すべきは自分たちが居住している建物についての知識の筈だ。
上辺だけの知識が余計に思考力を曲がった方向に進ませ減退させている。



みなさんの中にも自分の住んでいる建物についてどれだけ知識があるか考えてみて欲しい。
正確に言える人はあまりいないはずだ。
それは(専門の学部・学科の人を除けば)学校で習う知識ではないのだ。
自分の住まいを自分自身で考え、行動して初めて発生する欲、知識欲でもある。
これがもしなければ、まったく建物の構造に興味がないまま生活する事になる。




話がいつものようにそれてしまったが、この問題は根が深い。
日本の資本主義の根底がここにある。
誰もが社会に出て働けば、自分が当初持っていた目標や理想像は忘れがちになる。
それは先述した資本主義において、会社の利益を追求・追従するからだ。
会社は当たり前だが、利益を上げてナンボだ。
売上高経常利益率や売上原価の削減などにしか興味がなくなっていく。
実際、利益が出なければ飯は食えない。
IT革命だ、なんだと言ってコストの削減に励み、より効率的な仕事をしようと模索する。
それを勘違いする会社もある。目に見えない、証拠として残りにくい悪事を働く会社もあるだろう。
また利益を上げるために、自社の人間の夢や希望を打ち砕く事も多々あるだろう。
その結果、夢や希望を持って社会に出たはずの人間が数年後には数字人間になり過去を見失い、夢も希望も見失う。




以前勤めていた会社で新人研修を行う機会があったので、
新人一人一人に「現在の目標と理想像」をあげてもらった。
100人近くもいて、入社したてなので、いい意見が続々と出てきた。
それを一通り言ってもらった後に、
「それを5年後、10年後になった時も忘れないで精進してほしい」
と言わせてもらった。
5年、10年経てば、そのときの新人は会社では中堅になり、会社の働き頭だ。
この彼らの行動が会社を左右する。
そのときに当初の目標を忘れずに仕事ができる人がどれくらいいるのだろうか。
今の日本においては皆無に近いと言っても過言ではない。
だからこその意識付けを行った。






夢や理想よりも優先されるべきものとして、利潤を目的にするのが資本主義であり、それに間違いはない。
間違いはないが、本来的に我々が生活し生きていく中で必要なものが
理想に近づく充実感であり、目標に向かい自己成長を遂げるといった事ではないだろうか。
定量的ではなく定性的な所に私たちの生活のエネルギーが存在すると思う。





業界の方々はこれからより一層のアカウンタビリティを追求しなくてはならない。
ただでさえ、消費者からすればグレーな部分の多い業界が今回の一件で更にブラックに近いグレーになったのだ。
そして我々は今回の耐震強度設計偽造問題が我々に投げかけている問題の本質を理解しなければならない。
私たちがこの社会の一端にいることも決して忘れてはならない。
今回の一件が投げかけているのは特定の個人や企業の問題ではないという事だ。
責任転嫁を繰り返すメディアや他人の根拠のない意見に踊らされるのは、もういい加減にやめた方がいい。
本当の意味での「見極める力」をつけなくてはならない。
この事件が起きた社会的背景に目を向け、
このような事件が二度と発生しないためには何が必要なのか今一度改めて考える必要がある。
戦争が何もない所に起きないように、事件もまた何かがあるから発生するのだ。



長くなったので今日はここまで。
明日はレイザーラモンです。